間違えてた。「思い“は“言葉に」

 


 「思いは言葉に」日々時々に浮かぶ思い。それはそのままにせずに,言葉にしよう,ということか。思いをはっきりさせて言語化していく意識的な作業。それを「は」が表しているのか。

 書き留めていたから,あるいは人に話していたから,残っている自分の思いがある。その過去の思いに元気付けられたり,恥ずかしく思ったり。

 子供の頃の絵日記,日記は懐かしく面白く,自分だけでなく家庭の記録にもなっている。

 中高生時代の日記も,こんな事考えていたのか,立派,と昔の自分に力付けられたり,今と同じようなことを目標にしていた事を知り,人の本質はそれほど変わらないのか,と思ったり。そんなことくらいで腹を立てたのか,と思ったり,異性に関心なかったと思っていたのに,A君カッコいい,などと書いてあり,自分が思っていた以上に関心あったんだと知る。

 友人の影響で,20年以上前に始めた3年日記は,最初の年は自分の気持ちを書いた。良いことなら良いけれど,嫌だったことを書くと,次の年も,その次の年も,目にすることになるのでやめた。出来事だけを書くことにした。それだけで色んなことを思い出せる。

 でも,考えや気持ちを書く良さがあるので,3年日記とは別に,書きたい時に書いているノートもある。書くと,考えていることがはっきりしてくる。残したくない自分の嫌な気持ちは,適当な紙に書いて捨てる。後で目にするかもしれないノートには書かない。ネガティブな思いを目にしてしまって,頭の中に雑草が増えたら嫌だ。できたら花でいっぱいにしておきたい。日々雑草は生えるので花でいっぱいには難しいけれど。