花の終わったヒヤシンス

ヒヤシンスの球根を3つ11月に買って,冷蔵庫に入れて寒さを経験させた。

12月後半,ぐずぐずしていて長く入れすぎていたので,箱から出して見ると,芽が少し出ていた。芽の緑色が薄い‥。土用の根も少し出ていたので,切って,水耕栽培用のガラス容器にセット。

2週間くらい,北部屋に置いて光が当たらないよう新聞紙をかぶせて,白い根をたっぷり出させた。そしてリビングデビュー。明るい所に置くと,芽の緑色が濃くなっていった。すごい。えらい。

少しずつ小花が開いていって甘い香りが漂う。球根は,根と茎と葉と花だけではなく,香りも準備していたのだ。

3つの球根のうちで一番最後に咲いたものは,もう1つ小ぶりの花を後から咲かせた。どれも同じ大きさの球根だったけれど,これは2つ花を持っていたのか。優秀。はじめのは後のに場所を譲るかのように,茎が黄色くなったので,切って終わらせた。

花はドライフラワーになって茎に付いている。以前は,花というものは,終わったら処分した方が良いと思っていた。きれいなものは,色があせたり,クシャッとなった花びらは,見られたくないだろうと思って。(植物に感情があると思っているわけではないけど)

最近は,生きている限り,茎や葉や花を,切ったり摘んだりしながら最後まで飾っている。切り花は。

花が咲き終わり,ドライフラワーのようになると,葉っぱが伸びてきた。来年咲くための栄養を蓄えるのだろう。でも我が家では来年はない。申し訳ないが。土に植えたら来年も咲くかも知れないらしいが,土に植える気はないから。

むなしく葉っぱを伸ばしているかわいそうなヒヤシンス。いや,精一杯生きている力強いヒヤシンス。

水と光と空気だけで,ピンクの小花をたくさん咲かせて,目を楽しませてくれて,甘い香りで喜ばせてくれて,今,まっすぐな緑の葉っぱをすくすく伸ばしている。

いっそ,それぞれに名前を付けて,枯れるまで置いておこうか。大きいのは「大ちゃん」小さいのは「ミニちゃん」2つ咲いたのは「ダブちゃん」。名前まで付けたら愛着がわいて,枯れた時,辛くなるだろうか。

それとも,名前まで付けたのに,まさか,(やっと枯れた)と冷酷な思いを持ったりしないだろうな‥。

家人の「もう片付けたら?」という言葉待ち,が現実的なところかな?いや,そう言われても迷うかも。

こういうことはまず無いが,もし,「つぼみを付けたヒヤシンス,買って来たよ」と持って帰って来たら,たぶん‥‥。

 

 

「推し」か「趣味」のある生活


今まで,色んな人を好きになった。宝塚歌劇のスター,ジェームズ・ディーンエレカシ。ほんとはもっといる。

そういう人のことを表す言葉がなかった,ということに気付いたのは,「推し」という言葉を知ってから。

「〇〇さんのファンです」と自分のことは言えても,好きな人,応援している人,〇〇さんを指す言葉が,今までなかった。

「推し」という言葉を考え出した人,すごい。

「推し」がいる生活は,幸せ。

母はずっと昔から,大の阪神ファン。選手,監督のことはもちろん,コーチのことも,よく知っている。テレビの音を消して,ラジオで野球放送を聞きながら,試合を見たりもしていた。

もうずいぶん前のことだが,電話の途中で「ドラフト会議が始まるから,切るわ」と。久しぶりの電話だったのに,娘と話すよりドラフト会議を見る方が大事なんだ,と面白かった。

スポーツは,勝ったり負けたりだから,いつも嬉しい,というわけにはいかないが,好きなチームがあるって,楽しそう。野球シーズンが始まると,母が楽しめるものがあるので,私も少し気が楽になる。

私も阪神に興味を持って,一緒に楽しめれば良いのだけれど,そうなれない。夜のニュースで野球情報を仕入れる程度はしている。

何十年も大好きな人,団体,は残念ながら無い。宝塚は7,8年で。周りに宝塚ファンが増えて,“私の宝塚”が,“大勢の宝塚”になってしまって(もともとそうなんだけど),急に熱が冷めていった。ジェームズ・ディーンは5,6年で,こちらは徐々に冷めていった。

日本のロックグループ,エレカシを好きになった時,CDを借りたり,買ったり,YouTubeで見たり,書籍を買ったり,年代順にアルバム名を書いて,手に入れたものをチェックしたり,歌詞を手帳に書いてみたり,した。

毎日楽しみがあった。ただ,曲を聴く時は,1人の時に,じっくり聴くので,曲を聞きながら何か他のことをすることができなくて,不自由だった。

名曲がいっぱいあって,感動し,驚いた。なぜこんなに良い曲が流行らなかったのか,私の耳に入って来なかったのか,不思議に思った。私は2017年までエレカシを知らなかった。流行ることを望んでいないのか?という曲もあるが〜。

Spotifyというアプリで,持っていないアルバムの曲が聴ける。やはり名曲が多い!いつでも聴ける,という事もあり,少しずつ聴いている。

今はなぜか自分を抑えて聴きすぎないようにしている。初めの頃のように夢中になってしまうと,するべき事をする時間がなくなるから。あるいは,もう夢中に取り入れる時期は過ぎて,落ち着いたのか。

趣味として,ギターを少し。学生時代,クラッシックギターをテレビの講座を見ながら学んだ。ギターアンサンブル部の友人にも教わりながら。今はその頃のようには夢中になれない。

生活の喜びとなる,趣味や「推し」のある人は,幸せだ。

趣味のことも「推し」って言うのかな?言葉の定義がまだちゃんとわかっていない〜。

 

 

 

 

順応性があるって良いことだ


娘が持ち帰ったニジマス6尾。袋を開いて見たら,丸い大きな目が。内臓とウロコを取り洗ってあると聞いていた。頭も落としてあるのかと思っていたので,見た時ギョッとした。おまけに1尾,死後硬直か少し丸まっている。それをつかみ出し,真っ直ぐにする。骨が折れないかと心配だったが,素直に真っ直ぐになった。

ニジマス3尾,頭を落とす。久しぶり。1尾ごとに慣れていく。塩焼きにして食べた。全く魚臭くなくて,とても美味しかった。翌日,娘はムニエルを。これもとても美味しかった。料理の写真を撮り,釣りに連れて行ってくれた夫婦に送っていた。

昔,高校生の頃,海老を茹でるよう言われ,沸騰したお湯に生きた海老を入れた。入れた後,怖くてじっとしていられなくて,台所を走り回った。いつも美味しく食べている海老は,こうやって茹でられていたんだ。

結婚するまで魚をさばいた事がなかった。初めてアジをさばいた時は気持ち悪かった。でも,慣れた。その後,小アジの南蛮漬けをよく作った。

人間を含め,生き物には順応性がある。色んなことに慣れて,順応していく。

暑さ寒さもそうだ。冬に移ろうとする頃,ぐっと気温が下がった日があった。とても寒く感じて真冬並みの格好をした。でも段々気温が下がって冬になって,その日より気温は低いのに,その日ほど厚着しなくても平気。

娘が仕事で山形に住んでいた時。山形の友人と一緒に東京に来て,翌日2人が出かける時,薄着だけど大丈夫かな,と思った。途中で心配になり,風邪をひいたらどうしようと思ったが,帰って来た2人に寒くなかったか聞いたら,「寒くなかった。でも周りの他の人たちは私たちより着込んでいて。私たちはこっちの人より寒さに強いのかな,と2人で話してた」

娘はもう山形の寒さに慣れたんだ,と感動した。

娘は,交通事故に遭ったので療養のため,数年前に帰って来た。最初の冬は薄着で平気そうだったけれど,もう次の冬は東京の人と同じような格好をしていた。残念に思った。でも,人は順応性があるから,慣れるからね。

室蘭から来た若い友人。数年前の冬にこちらに引っ越して来た時は,暖かいのに驚いて,しょっ中「室蘭の友人たちに,この暖かさを分けてあげたい!冬なのにこんなに暖かいなんて,信じられない!」と言っていた。でも,数年後「東京の寒さは,また違う。東京の方が寒い」と言い出した!部屋だけの話でしょ?と言っても,いや,部屋の事じゃない,と。これは笑ってしまった。そんなわけない。来たばっかりの冬の発言を録音しておいて,聞かせたかった。

寒い地方の動物園にいるライオンは,毛が少し長くなると聞いたことがある。寒さに対抗するため。聞いただけで見たことはないので真偽は不確かだけど,あると思う。

 

 

 

食べ物 魚,肉,野菜,昆虫

娘が死んだ魚6尾持って帰ってきた!「魚は持って帰らなくて良いから」と言いたかったが,釣りに行った人に言うべき言葉ではないと思って,言わなかった。案の定,持って帰った。

聞くと,頭,内蔵,鱗は取って洗ってあると言うので,即,冷蔵庫のチルドルームへ。

釣り好きの夫婦と,もう1人女子と娘と。女子と娘は初めての釣り。娘は早朝4時過ぎに出かけて行った。

娘と女子は,1匹ずつ。夫さんが10数匹,妻さんが数匹,と。

じゃあ1匹で良かったのに‥と感謝のないことを思った。

冷凍もできるらしいが,今日と明日で食べてしまおう。ニジマス。まだ見てないけど。ニジマスくらいの大きさので良かった。

今日は塩焼きにしよう。明日は娘が夕食当番だから,任せる。

自分の夫が,釣りが趣味なら,夫が捌いたのを料理することになるだろう。

自分の夫が,猟が趣味なら,夫は猪や鹿を棒にくくるとかして,持って帰る。毛皮,肉,処理して余すところなく使ったり食べたりするのか。

牛肉が好きだが,牛一頭プレゼントされたら困ってしまう。牛は家畜だから猟の対象ではないか。

命を頂くとの感覚は,丸ごとの方が断然強いと思う。

子どもたちが小学生の頃,親戚に連れられて,釣り堀でニジマス釣りをしたことがある。釣ったのを調理してくれて食べられるところ。

その時,家では金魚を飼っていて,餌をやり水を換え,世話していた。

だから,ものすごく変な感じがした。金魚よりずっと高価で大きい立派な魚を,食べようとして釣っている。釣りたくない,食べられない,だって私は同じ魚を,金魚を,飼っているから。と。

結局は,誰かが釣ったニジマスを美味しく頂いたけど。

ベジタリアン。良いかも。ビーガン料理を食べるようになって,体調が良くなった,と言っていた人がいた。昆虫食は,体にも環境にも良いと聞く。牛は,環境に大きな負担をかけていると聞く。

大勢の人が何を食べるかは,健康だけでなく,自然環境にも関わってくること。

先日,そういった話になって「みんな昆虫を食べれば良いのに」と言ったところ,夫と娘がすぐ私に目を向けて「自分は牛肉を食べようと思っているんでしょ!」と言われてしまった。

そこまで自己中心ではないが,ちょっとそんな考えも,無きにしも非ず‥。

言い方が悪かった。「みんなで昆虫を食べれば良いね」

 

 

 

子どもへの手紙


息子に手紙を書いた。1年半ぶりくらい。LINEで返事が来た。

娘が東北で一人暮らししていた時,2、3回手紙を書いたが,返事はメールで。

届いたよ,ありがとう,と返事が来るだけでも良しとする。

亡父は筆まめで,私が大学に行っている間,週に2通手紙を書いてくれた。楽しみだった。結婚してからも,週に1度くらい手紙や絵はがきを送ってくれた。

それに返事はほとんど書かなかった。帰省した時に謝ったら,返事は良いんだ,と言っていた。

親になって,子どもが家を出て行って,父に倣って手紙を書こうと思っても,書くことがそれほど無い。

父は,書くことがいっぱいあった。考えていることがいっぱいあったのだ。私への思いがいっぱいあったのだ。

大学時代に手紙をもらったのは,私だけかと思っていたら,弟ももらっていたと言う。

あら,なんだ,と初め思ったが,すぐ,父の愛情は大きい,と温かい気持ちになった。

私は父からの手紙全部とってあるが,弟は,どこかへ行ってしまった,捨てたかも知れない,と言う。

え!何で??弟は,読んだらもう用が済んだことになる,と答えたような。

もったいない,と思った。

父が亡くなって3年経った頃,もう懐かしく読めるか,と思って2通読んでみた。読んだ時は良かったが,その後辛くなって心が湿ってしまった。まだ読み返すには早過ぎた。

それ以来読んでいない。箱に入っているだけ。

読んで悲しくなるなら読みたくない。読まない方が良い。それならもう捨てて良いのかもしれない。

見て,負の気持ちにさせるものは,身のまわりに置かないようにしている。

父の手紙を入れた箱はクローゼットの中にあり,その箱を見ても辛くはない。

いつかまた読んでみて,それでも悲しく辛くなるなら,もう捨てようか。

古びて,‥もう既にすごく古い!‥虫がついても困るし。

手紙の内容を全部覚えているはずもないが,父の私への思い,愛情,願いはしっかり分かっている。

物なんか無くても,思いはしっかり心に根付いている。

 

 

せんべい布団は体に良い?

今月1日から,何年ぶりかで,薄い敷き布団で寝ている。

きっかけは,泊まりに来た息子夫婦に,普段使っているエアウィーブ(浅田真央ちゃんがCMに出ていた)を貸すため。

前日,予行演習で寝てみた。

畳に,厚さ1.5センチほどの敷きパッド。これだけではさすがに薄いと思い,厚さ2センチほどの春秋用の掛け布団!を重ねた。

枕は,冬用敷きパッドを折りたたんで,低めに。

寝てみたら,背中やお尻が痛い‥。心配したが,翌日無事だった!かえって,反り腰気味だったのが,改善したような?

息子家族が来た日の夜。またこれで寝るのは,少しきついな。予行演習なんかしなければ良かった,と思った。

夫は,娘が持ち帰ったマットレス。「わりと良いよ。大丈夫?変わろうか?」「大丈夫!せんべい布団で寝たいと思ってたから〜」これは本当。でもここまでぺったんこのではなく‥。

息子家族が帰ってからも,薄い敷き布団のまま。2日間使って,寝る時,体が痛いけれど,朝起きた時,何となく良い感じかも,と思ったから。腰に良いような気がする。

ただ,エアウィーブのカバーは恋しい。ふんわり暖かい。では,そのカバーに敷き布団にしているのを入れたらどうか,とも思うが,しない。

いつまで薄い敷き布団で寝るか。

腰には良いが,背中が少し痛い。眠ってしまえば良いのだけれど,お布団に入った時に,ほっと,しない。

そろそろほっとできるお布団に戻ろうか,もう少し頑張ろう?か。

子どもの頃に読んだお話で,お姫様かどうかを試すのに,何枚も重ねた敷き布団の間に,お豆を一粒入れる,というのがあった。翌朝,背中が痛くて眠れなかった,と言えば,本物のお姫様だと分かる。

頑張り続ければ,板の上でも眠れるようになるかも。お姫様をお守りする従者になれるかも?

 

夫の実家へ行くのは‥


今日の午後から,久しぶりに一人の時間!一人の時間は必要。

年始に息子家族が一泊する,もうすぐ3歳のお孫ちゃんが泊まるのは初めて,という事で,年末から,準備をしようと,気持ちが落ち着かなかった。

嬉しかったのは,お嫁さんの「お泊まり,楽しみです!」という言葉。

私の年末年始は,夫の実家へ行って,お姑さんを手伝って,皆の,お義姉さんたちやその子どもたちの世話をする,というもの。

選択の余地なく,20年程,そうやって過ごして来た。

だからか,夫の実家に行くことを楽しみに思った事は,一度もない。皆良い人だけど。

お嫁さんの言葉は,本心でなく社交辞令,だとしても,そういうことが言える,というのが,驚きであり,嬉しかった。

そして私は,息子家族との時間を楽しんだ。「マゴもすごく楽しかったみたいで,またお泊まりしたい〜と言っています」とお嫁さんが教えてくれた。

孫は女の子。私もかつては女の子だったし,娘も少し前まで女の子だったから,一緒に遊ぶのは楽しい。お絵描き,粘土やぬいぐるみでごっこ遊び。

孫は,もちろん,歳の近い娘の方が,断然好き。

息子は,お嫁さんのことをとても大事にしていて,ほほえましい。

息子がお嫁さんを大事にしていて,かつ,私のこともさり気なく気遣ってくれるから,お嫁さんも居心地が良いのではと思う。親ばかでしょうか。

でも実際は分からない。自分たちの家に帰って,お嫁さんは「あー疲れた〜」と息子に言っているかも知れない!