“ブログ”を読むようになったきっかけは,一冊の本
勝手に「先生」に,なってもらっている人がいる。
ずっと前。改めて見てみるとその本は2012年出版だから,11年も前。本屋さんで見つけた「ミセス美香の 美的ハウスキーピング」
靴は8足あれば良い,とか,朝9時までに人を呼べる家に整えましょう,とか,私の考えに合う!と思い購入。
ハウスキーピングのレッスンをしている人だった。
全ての扉,引き出しを開けても,きれい。なんと素晴らしい!そうありたい,と願いつつ‥。
1年間のレッスンプログラムも出ていた。
この本を買ってから,何かあると読み,ミセス美香さんを,家事の先生,としてきた。
筆者のプロフィールに,ブログも人気,とあったので,見てみた。それをきっかけに,他の人のブログも見るようになった。(意識しなかっただけで,それまでも,何かを検索して,ヒットした個人のブログは読んでいたと思うが)
“365日のとっておき家事”の三條凛花さんのブログも見た。彼女も素晴らしい。
家事ノートのことも書いてあった。彼女が以前『情報は一冊の本にまとめなさい』という本を読み,参考になったということだったので,私も読んでみた。今も役立っている。
思えば,その頃は,家事についてのブログを結構読んでいた。
図書館や書店で本を知り,その人がブログを書いていたら読む,ということも。
例えば「『くりかえし』の家事を楽しむ小さな工夫」。関西弁の語り口で,子供たちへの愛が溢れている,田中千恵さん。こんなお母さんになりたかった。
「一日一捨」の,すずひさん。本の中にあった彼女のアイデアを,幾つか活用している。
今までは本を読んで,その人を知り,ブログを見る,という型。
最近は,ブログでその人を知り,図書館や書店でその人の本を見る,ということがある。
モーニングページを調べていて知った,ミニマリスト筆子さん。“筆子ジャーナル”おもしろい。勉強になる。そして筆子さんは本も出している。
我らが“はてなブログ”の,ちゃくまさん。先日,図書館で「簡単に暮らせ」を見て,おもしろそうだったので,借りた。とても良い!
以前は,家事の意欲がない時,モチベーションを上げるために,家事を頑張っている人,楽しんでいる人の本を読んでいた。てきぱき家事を楽しんでいる様子のYouTubeを見たり。
最近,意欲が低下していて,低下しているままにしていた。お天気のせいもあるかもしれないけど。
意欲を高めよう。意欲を高めるには,ある程度の情報量が,私には必要。
だから本を読もう。まずは「簡単に暮らせ」を。
「植物男子ベランダー」をきっかけに
(先週友人からもらったあじさい。その時の写真なので,今はもっと全体が水色に。実物は奇跡のような美しさで見飽きない)
庭仕事に精を出している知り合いが,カレル・チャペックの本を読んだ,と言う。
それで私もまた読んでいる。大げさな書き方で,面白い。笑える。
この本を知ったきっかけが「植物男子ベランダー」
2014からNHKで放送していたドラマ。ベランダで植物を育てている,植物をこよなく愛する中年男性の物語。
独り言が,ハードボイルド。
このドラマを見て,もともと植物は好きだったが,より興味が強くなった。
もうだいぶ前の事だから忘れかけているけれど,このドラマのおかげで,植物の見方が深まり,感動も深まったように思う。
原作が読みたくなり,いとうせいこうさんの「自己流園芸ベランダ派」を読み,とても良かったので「ボタニカル・ライフ 植物生活」も読んだ。
文章も良くて,感動したり笑ったり。どちらも何度か読んだ。
芍薬の描写が素晴らしく,何行かを書き写した。本を持っているので,書き写す必要はなかったのだが。
以前にも増して,芍薬を,見事!と思うようになった。
いとうせいこうさんにも興味を持った。
主演の田口トモロヲさんや,松尾スズキさん,古舘寛治さん,といった個性的な役者さんも好きになった。
そして,解説か前書きにあった,カレル・チャペックさんの「園芸家12ヶ月」という本も読んだ。
カレル・チャペックって紅茶屋さんの名前だと思っていたけど,チェコの有名な作家の名前だったんだ。
ドラマで使われていた歌も良かった。大橋トリオ。「トリオ」だから3人グループかと思ったら,1人の人だった。
色んな曲を聞いてみた。曲も声も良くて,しばらくはよく聴いていた。
矢野顕子さんの挿入歌も良かった。
1つの事から派生していくことって,よくある。
エレカシが好きになって,宮本さんが好きになって,宮本さんが好きだと言っていた夏目漱石(漱石は前から好きだったが),森鴎外や永井荷風を読んだり。
古地図や中国茶はやらなかったけど‥。
今,NHK朝ドラ「らんまん」は植物学者,牧野富太郎がモデルの話。
これ繋がりで「植物男子ベランダー」を再放送してくれないかな!
クリーム色の服。一つは処分,一つは手放す。
クリーム色のパジャマを母にもらって,着てみたらとても似合った。日本人の肌にはだいたいクリーム色が似合うのかもしれないが。
もうそのパジャマはない。処分した。毎年秋冬十分着て,傷んだので。
処分と言わず「手放す」という言い方が増えていると思う。
処分は「処分場」というように物として捨ててしまうイメージ。
手放すは,今まで大切に手の上でいつくしんでいたけれど,それをどこかへ遣るというイメージ。
クリーム色のパジャマ。どうしたか,もううろ覚え。切って使い捨て布にする物もあるが,切るに忍びない物もある。パジャマは切らなかったと思う。
市の資源ゴミに出したはず。これは処分か。
私はだいたい処分かも。思い入れがあり過ぎることがない。
でも,お気に入りだったワンピース。フリーマーケットで売ったワンピースは惜しみつつ,だった。
これも薄いクリーム色。丸えり,小花模様。大好きでよく着たが,もう似合わない歳になったので。
4人の若い女性たちが「これ,良いんじゃない!?」と駆け寄って来た。(え?私と同じ趣味の人たち?)
「レトロで良い〜」(え?レトロ‥もう,そうなのかな‥確かに古風)
演劇で使うということだった。レトロなワンピースを探していたと。
昭和とか,少し前の時代に合うと思って買ってくれたんだ。
私のワンピースが舞台衣装に。これは服にとっては出世か?出番が終わったら捨てられたか?まだ繕いながら,そういう時代の舞台に登場しているか?
そもそも買ったけれど,もっと他に良いのがあって,出番なく処分されたか?
私の目の届かない所でどうなったかは,もう関係ない。
「これ,良いんじゃない!?」と言って買ってくれた,ということが,嬉しい。
このワンピースは,「手放す」の方だった。
久々の新幹線。実家は収納家具が多すぎ。
暑い東京から寒い西日本に,行って帰ってきた。(4/16-19) 久々に富士山の見える窓際のE席で。
父が生きていた時,富士山が見えるE席に乗るよう言われていて,帰ると「富士山見えたか?」ときかれていた。
父がいなくなってからは,あるアスリートが「窓際は体が冷えるので通路側の席に座る」というのを聞いたこともあり,通路側に座っていた。
行きは,疲れていたせいか,途中眠っていて,気が付いたら静岡市辺り。富士山が見えたかどうかも,分からなかった。
東京に帰る「のぞみ」号では,読書と,風景を,楽しむ。
レンゲを植えた田んぼ。苗の肥料にするためと聞いたことがある。レンゲを見るのは久しぶり。おばあちゃんの家を思い出す。
そのうち水を張った田んぼ。もうそんな季節なんだ。
車内販売のワゴンがやっと来て,コーヒーを買う。
ワゴンサービスが無くなった新幹線もあるので,無くならないようコーヒー,時々カツサンドを買う。これ位のことでは何の影響ないのは知っているが〜。
“塵も積もれば山となる”とも言うではないか。
そして地理で学ぶ有名な川を幾つも渡り,そのうち茶畑,山を過ぎても茶畑,トンネルを過ぎても茶畑。
やがて,富士山の白い頂上が見え,徐々に姿が見えてくる。全体が現れる。右側にこぶ。なだらかに広がる裾野。大きく美しい山。
そのうち富士山の前に沢山のパルプ工場,煙突から煙が上がっている。
後方へ去っていく富士山。最後,白い頂上だけ見せて,やがて消える。
実家の台所は,収納家具が多すぎ。きちんと収納はされているが,物が多すぎ。
高齢の母は,まだ?しっかりしていて“女主人”。私たち子どもの言いなりにはならない。
初めはケンカにもなったが,徐々に自分から物を減らすようになった。でも台所は全然。今回,母が腰痛で,椅子のある台所で過ごす時間が,いつもより長かった。
物の少ない自宅に帰ると,ほっとして,くつろげて,「きれいな家で(自己評価),良かった〜」と,幸せ。
物が多いと窮屈な感じだし,視覚的にも情報が多くて,頭もごちゃごちゃする感じ。
ずっとそういう所にいる母は,何も思わず,普通,と思っているのだろうけれど。
「今度帰る時は,台所を少しでも快適にしよう」と思ったことが何回も(>_<)
母の安全,快適のためにも,平和に物事を進められるよう策を練ろう。
「完璧主義はやめたの」
友人が「私は完璧主義なの。だからストレスがたまるんだと思う」と。「私も完璧主義者だったけど,やめたの」「へえ,やめたんだ」
話しているうちに,私と彼女の思っていることが違うと分かった。
彼女は,例えば,夫はこうあるべき,こうでなくてはいけない,と考え,そうでないと,嫌だと。
あら,人を理想通りの人にしようと?だいたいの人が自分のことさえ変えられないのに?
私は,理想の自分と,現実の自分の違いに,がっかりし失望していた。今も残念に思うが,過度にがっかりはしない。
変な完璧主義だったな,と思う事。
昔,ボールペン習字の通信講座を申し込んだ時。お手本通り書けるようになってから,課題を送ろうと思って,結局1度も送らなかった。
初めの方の課を何度も何度も練習して,なかなか先へ進めなかった。
完璧に書けなくても,課題を送った方が良かったと思う。
試験勉強の予定を立て,それも現実的でない量だったりしたので,すぐ予定通りいかなくなり,また予定を立て直す。
予定通りやらない所は,全然完璧主義者じゃないんだけど。
予定ばっかり立てていないで,その時間,勉強した方が良かったと思う。
ちょうど良いと思えるノートが見つけられなくて,書けなかった。妥協して選んででも,まず,書く,という目的を果たす方が良かった。
結婚して,仕事を続けるつもりがうまくいかず,専業主婦になった。
「これからは家事全般が私の仕事」と思って,私なりに一生懸命やった。初めの頃(^^;
結婚前からお弁当を楽しみにされていたので,結構頑張って作った。
献立を立ててお買い物。スーパーで,年配の主婦たちが「今日何にしよう」と言っているのを聞いて,(何年主婦やってるの?)と思っていた。
今は,良く分かる!何作るか考えずにお買い物に行くこと,ある。
また,例えば,手作りしないでドレッシングや,たれを買う自分を責めていた。
今は,責めない。手作りできた時は,嬉しく思う。
掃除も,「今日は浴室のていねい掃除の日。やるぞ」と意気込んで,結局全部はできない。そうなると,次の,“浴室ていねい掃除の日”が来ても,最後までできないと嫌だから,恐れる。
今は,100できなくても,1でも2でも‥少なすぎかもしれないけど,やった方が良いと思う。
子どもに対しても,もっとこうあって欲しい!と高望みしがち。
ある時,ある講演の中で「自分の子にしては,上出来なのではないですか?」と言われて,笑えた。
自分より優しく強く賢い子になって欲しい,と思って育てたが,一方では,「自分の子にしては上出来」という現実的な見方も必要。
昔,朝ドラで「生きちょるだけで,丸もうけ」と言う言葉を聞いたことがある。本当にそうだ。生きているだけで良い。
何にしたって,完璧なんてあり得ない。
理想に近づこうと努力するのは良いことだと思うし,そうしたいと思う。
でも完璧を目指して動けなくなるより,完璧にできなくても,行動する方がずっと良い。
いらいら,がっかり,するより,「こんなもんだね」と笑っていられる方が良い。
練習は大事
写真を上手に撮れない。上手な人に聞くと,「練習すること」と。
今はフィルムではなくデジタルだから,失敗しても消せるから,いっぱい撮ってみれば良いのだけれど,外では人目を気にしてゆっくり撮れない。
先日,平日に大きな公園に行ったので,練習のチャンス。河津桜,梅,クロッカス,クリスマスローズ,水仙たちを,スマホで,全体を撮ったり,アップで撮ったりしてみた。と言っても20枚ほど。あまり多くはなかった‥。
目で見た通りに撮れていない。色が違う。構図もイマイチ。
カメラの機能,使い方の研究も必要。そしてたくさん撮ってみる。練習。
ブログへの写真の貼り付けも,研究が必要。写真のサイズを小さくするには,とか。
スケッチも上手になりたい。
読んだ本によると,描きたい対象をよく見て,頭の中で描いてみて,実際に描く。そして毎日描くこと,練習すること。
3日坊主‥。根気がない(◞‸◟) そこを頑張る。
何かを続けるには,“いつ,やるか” を決めることが役立つ。そこを怠っている。
いつやるかを決めることで定着していった習慣がある。
写真と絵とギター。いつ,だけでなく“何を”も決める必要がある。ギターのテキストはある。今月,絵は,写真を見て,子どもの顔を描いてみようか。写真は外で2枚,家の中で5枚撮ってみようか。少ないかもしれないけど。
何もしないゼロよりは,小さな一歩,小さな行動が大事。
何を,は決まった。いつ,も決めないと。それは,明日,決めよう。
今日は,小さな一歩だけれど,前進できた!
どんどん歩ける靴が欲しい
暖かくて風もない,素晴らしい青空の日。
白梅,紅梅がきれいに形を整えられた枝に咲いている。丸い花びらのボケも赤,ピンク,白の花を付けている。ミモザは明るい黄色の花をたっぷり咲かせている。
気持ちが良いのでどんどん歩いているうちに,うっすら白かった半月が,はっきり見えてきた。
明るい惑星2つ,縦に並んでいる。昨日,私が火星と木星かな,と言ったら,夫は,いや,木星と金星だと言ったのだったかな。夫が正しければあれは木星と金星。太陽にあんなに明るく照らされて。
太陽ってすごく大きくて熱い。でも恒星の中では中くらい。
太陽に一番近い恒星はプロキシマ・ケンタウリ。ものすごく遠い所にあるらしい。お隣と言ってもものすごく遠い。
月がはっきり見えてきて,星,惑星が明るく見えるということは,太陽が沈む。もう沈みかけている。
幼い頃,おばあちゃんの家に行った時,家の前の道に立って山が見える方に太陽が沈んでいくのを見ていた。大人になったら太陽が沈んでいく場所まで行って,太陽の家を見たい!と思っていた。幼い頃の夢の1つ。
山の向こうの,山に囲まれたきれいな泉が太陽の家だ。そばの小屋に太陽の世話をするおばさんが住んでいる。
透き通った水の中の赤い太陽を見たい。寝ていたら起こさないようにそっと近づいてのぞこう。
今日見に行こう。早く行かないと沈んでしまう。急いでどんどん歩いて行ってもきっと間に合わない。走っても間に合わない。それでも走って見に行ってみようか。
とにかく早足でどんどん歩く。
お昼過ぎから歩いているのに,まだまだ歩けそう。歩きたい。少しも足が痛くならない。
‥‥
そんな靴が私は欲しい。
(この話はフィクションです。靴が欲しいのは事実です)