高齢の母とのこと。

母と仲良くなってきたかもしれない。愛する父を父を亡くし,実家に帰っても母だけになって数年。今80代後半の母とは,中学生の時からずっと相性が合わないと思ってきた。父に注意されたほど。「肉親だから遠慮なく何でも言えるということはある。だが,肉親ゆえに深く傷つけ合って断絶という事になることもある」と。父のことは大好きだったので,何でも素直に聞いて受け入れることができた。でも実際2,3年,母が何かのことで怒ってしまって,全く連絡して来なくなったことがあった。

母のことをずっと我慢し,辛抱し,たくさん,たくさん許してきた,と思っている。母はまた母の気持ちや考え,言い分があるはずだが。

ずいぶん前になるが,弟に,私が母に優しくなった,と言われて驚き,嬉しかった。そう言えば母と険悪になることが減った,とその時気付いた。片方が穏やかに接するようになれば,もう片方も穏やかになれる。人と人,とはそういうものだ。(ちょっと自慢ぽくなってしまったか?)それからも母とは色々あったが,今は,やっと,平和になった。もちろん一緒に住んでいないから,ということも大いに関係しているが^^;

パンデミック前は月に一度帰省。そのうち母が,私が大変だろうから毎月でなくても良いと言ってくれたので,2ヶ月に一度くらいに。今は日頃はメール,週に一度ビデオ電話で。今月帰れたらと思っている。弟夫婦が近くにいるので助かっている。

帰省中,弟が,母の話をずっと聞いているのは大変だろう,人の悪口が多いから,と気遣ってくれる。そう理解してくれる人がいると思うとほっとする。そして,頑張って,自分に悪影響!がないよう気を付けつつ,一緒に過ごす。何かにつけ,批判的な人だから。良いところはしっかりしていること。政治や経済のニュースに通じていて感心する。

母がお姑さんにすごく苦労したことは,幼いながらも分かっていた。子どもだったから,知っていたことはごくほんの一部に過ぎない。あとは母の話で知るだけ。お姑さん側の話は聞けなくて,母の印象,記憶だけなので誇張のない事実かどうかはわからないが。

最近子どもの頃の話を聞いた。戦争中,小学生の時に疎開先でいじめられたこと,兄が3人,1人は若くして死んだこと。兄は2人だとばかり思っていた!母の背景についての知識が増え,母への理解も深まった。幼い頃の母を知ることができたのは,良かった。

母はとても頑張り屋で負けず嫌い。今も昔も。父親が友人の保証人になったせいで,家具その他全て差し押さえられ,生活が一転。その父も死に,自分より成績が下の人が大学に行くのに,自分は経済的理由で行けない。それで通信で幼稚園の先生の資格,他,幾つかの資格を取った。車の免許も自慢のひとつ。その頃女性では少なかったらしい。幼稚園の先生として働いていたので,その時代の人にしては結婚が遅かった。

母が長生きしてくれているおかげで,母との関係が良くなった。母に対して温かい気持ちが持てるようになった。時間が必要だった。いつか本当の仲良しになれたら,と願いつつ,うっかり油断してケンカ別れにならないよう,母との交流を続けていきたい。